中山道六拾九次「中津川宿」


昨年の秋に、中山道広重美術館で歌川広重の作品「中津川宿」を鑑賞して以来、この目で宿場まちを見たくなりました。

 

中津川には何度も足を運んだことがありますが、宿場まちは一度も見たことがありませんでした。

 

 

ゴールデンウィークの真っ只中、時間が空いたので、ふらりと出掛けてみました。

 

まずは「中津川市中山道歴史資料館」に向かいました。

 

どうやら宿場まちの中心辺り、脇本陣跡に資料館があるようです。

 


■中津川宿

 

美濃国 現・岐阜県中津川市

人口:928 総家:228

本陣:1 脇本陣:1 旅籠屋:29

 

 

中山道において「中津川宿」は、江戸から数えて45番目の宿場まちです。

 

中山道の中でも比較的大きな宿場であり、寛政年間(1789年~1800年)には、町の長さは10町7間(約1.0km),家数は175軒,人口は1230人となりました。

 

「中津川宿」の町筋は、江戸方から順に淀川町,新町,本町,下町と続き、宿場の中枢を担う本町には、本陣と脇本陣がありました。

 

この本町から横町、下町にかけては、旅籠屋や馬宿,茶屋,食べ物屋などが並び、人馬の継立と休憩、宿泊に寄与していました。

 

一方、江戸方の淀川町や新町には商家を中心とする町並みが広がっていました。

 

現在でも、枡形のある横町付近には、古い伝統を受け継いだ宿場町の面影が残っています。

 


■中津川市中山道歴史博物館

 

・開館時間:9時30分~17時

・休館日:毎週月曜日

・入館料金:個人330円(小中学生無料)

 

 

裏手の中央公民館の方から本町に入ろうとした瞬間、もの凄い人だかりと出店が出ていました。

 

今日は縁日があるのかな?

 

よりによってGWの一番混雑した日に来てしまったなぁ~と後悔しました。

 

大勢のお客さんと犬?を除けながら、資料館の中に入りました。

 

入館料はどこで払うのかな~と思いながら、受付を探してみると・・・

 

なんと、六斎市無料デーでした! 

 

ラッキー! 何だか得した気分です。急に現金なものです・・・

 


■六斎市(ろくさいいち)

 

江戸時代、交通の要衝として栄えた「中津川宿」は、東農地方はもちろんのこと木曽や飛騨、三河地方など各地の産物の集散地でした。

毎月、3と8が付く日には「六斎市」と呼ばれる定期市が立ち、宿場は賑わったといいます。

江戸時代の「中津川宿」の賑わいを現代に呼び戻そうと、平成20年から毎月第一日曜日に復活しました。


 

展示室は2部屋ありました。

 

表の街道はあんなに大勢の人で賑わっていたのに、展示室の中はガラ空きで、ちょっと拍子抜けしました。

 

中津川市の本陣や旧家に保管されてきた貴重な郷土資料が公開されていました。

 

資料をじっくりと見てみると・・・

 

旧家から発見された古文書には、和宮降嫁の行列や天狗党の往来の様子を示すもの、幕末の混乱期の重要な出来事の一つである薩長同盟の密談を伝える文書など、幕末を駆け抜けた人々に関する貴重な資料が大変多く展示されていました。

 

重要な古文書・公文書、そのボリュームと中身の濃さには大変驚きました。

 

見応えもあるし、とても勉強になります。

 

■幕末の情報センターと呼ばれた「中津川宿」

 

「中津川宿」のある中津川村は、尾張藩の領地でしたが、旗本として尾張藩に属していた山村家(木曽福島関所守)支配地でした。

 

「福島関所」は先月、勉強に行ったばかりです。ここにも繋がりがあったことが判りました。

中津川には山村家の代官所に勤める武士がほんの少数いるだけで、町人(商人や職人)や農民がほとんどでした。

 

江戸時代の早くから「六斎市」が開かれ、様々な人々が行き交い集うと共に、多くの情報が集まる場所となりました。

旅籠や様々な商品を扱う店が繁盛し、財力豊かな商人たちが数多くいました。

 

資産家の商人や領主山村甚兵衛の応援を受け、俳諧が盛んで、和歌の歌会も開かれており、多くの文人が来遊して大きな感化を与えたと言われています。平田国学の伝承や雅会でも衆望をあつめました。

 

街道の通行と宿場の円滑な運営には、正確で迅速な情報収集が必要でした。

そして、幕末の激動が強まるほど、迅速に情報を掴み、正確な情報発信により、信頼度の高い情報センターとしての役割を果たしていました。

 

このネットワークを作り上げた人達が、中津川宿本陣問屋を勤めた市岡殷政と間秀矩でした。

彼らは京・大坂・江戸はもちろんのこと、遠く下関で起こっていることまで知ることができました。

江戸幕府は基本的に情報を一般の人たちに公開しませんでした。そんな時代でさえ、幕府やほかの大名たちには知られてはマズい極秘情報を掴むことができました。

 

国学は江戸時代初期に始まり、幕末に盛んになった学問であり、その流れの一つが平田国学でした。

中津川宿の中心となる人たちは、平田門人で占められています。

平田門人同士の結びつきはとても強く、新しい世の中の実現を望む同志でもありました。

 

何故?この「中津川宿」に貴重な歴史資料や機密事項が残っているのだろうと、最初はとても不思議に思いましたが、幕末の情報が集まり得た様相が次第に分かってきました。

 

この歴史遺産を知ることができる「中津川市中山道歴史資料館」は素晴らしいですね!

 


 

■中山道宿脇本陣跡

 

・開館時間:9時30分~17時

・入館料金:無料

 

ナマコ壁を有する2階建ての土蔵は、4間3尺(8.1m),2間3尺(4.5m)の大きさで、中津川宿の旧家の面影を色濃く残しています。

 

館内では旧家の資料展示があります。

 

 

脇本陣は、江戸時代に中山道を通る大名・公家・幕府役人の一行が休泊した施設です。

脇本陣を務めていた森家より上段の間を含む建物の寄付を受け、脇本陣が復元整備されています。

上段の間は、その一行の中で一番身分の高い者だけが使うことができる部屋でした。

 

中庭から上段の間を間近で見ることができます。

 


 

もう一つの謎が解けました。

 

街道沿いに居た大勢の人達と犬?

 

この街には何故?こんなに犬が居るんだろう・・・と思っていました。

 

この浮世絵風のイラストは何処の風景だろうと、よ~く見たら人ではなく犬と猫!?

 

タイトルはまさに"わんにゃん道中膝栗毛"

 

 

"ペットと楽しめるお祭り"だそうです。

 

宿場の街道に沿って、100店舗を越える出店で賑わっていました!

 


 

■美濃中山道の宿場まち(中山道ぎふ17宿)

 

江戸・日本橋から京・三条大橋まで六十九宿[百三十五里二十四町八間(約534km)]

この中山道の約4分の1相当にあたる128kmが美濃国、つまり現・岐阜県です。

 

① 43.馬籠宿

② 44.落合宿

③ 45.中津川宿

④ 46.大井宿

⑤ 47.大湫宿(大久手宿)

⑥ 48.細久手宿

⑦ 49.御嵩宿

⑧ 50.伏見宿

⑨ 51.太田宿

⑩ 52.鵜沼宿

⑪ 53.加納宿

⑫ 54.河渡宿

⑬ 55.美江寺宿

⑭ 56.赤坂宿

⑮ 57.垂井宿

⑯ 58.関ヶ原宿

⑰ 59.今須宿

 


旅のはじまりはモーターサイクル。

 

自由への扉をひらこう。