中山道六拾九次「細久手宿」


 昨年の秋、中山道の大湫宿(大久手宿)に訪れた際、隣の宿場まち「細久手宿」にも行ってみたなぁ~という想いがありました。

 

そして、この春、行くことに決めました!


 

現・瑞浪市のGoogleマップをぼんやりと眺めていると、半年前には目に入らなかった、とあるモノ?に気付いてしまいました。

 

日吉町の『YZサーキット 東コース』・・・

 

えっ!?

 

「YZサーキット」って、あのサーキット・・・のこと?

 

25年以上も昔の錆びついた記憶?を脳の深層部から取り出してみます。

 

確かもうひとつ「瑞浪サーキット」って無かったっけ?

 

 

Googleマップには現存するサーキットは1つしか無く、自分の記憶も何だか曖昧でした。

 

現地に行って確認するしか無さそうだなぁ~

 

国道19号の山野内交差点を左折し、県道352号線を北上していきます。

 

この県道は、いまから25年以上も前に随分通い詰めた筈ですが・・・

 

まったく記憶に無い!!

 


■細久手宿

 

美濃国 現・岐阜県瑞浪市

人口:256 総家:65

本陣:1 脇本陣:1 旅籠屋:24

 


 

旧中山道に入ると、グッと道幅が狭くなります。

 

「細久手宿」は海抜420mの山中にあり、中山道の「大湫宿」と「御嶽宿」の間は距離が長く、しかもその間には琵琶峠や謳坂の難所があったため、両宿の嘆願で慶長十五年(1610年)に新設されました。

 

東から西へ向かって弓型の細い坂が続く道で、その長さは400m余り。現在は昔の街道の風情が残っています。

 

■弓型の道路

 

宿場まちの道が弓型になっているところは、敵が群れで侵入してきた時、まとまって通りにくく、スピードを落とさないといけません。そのため、意図的に見通しが悪くなるよう設計されています。

 

 

その中で唯一、1軒の旅館を見つけました。

 

大湫宿のガイドさんに教えてもらった「大黒屋」さんです。

 

尾張藩の指定宿で、昔ながらの姿で今も旅館業を営んでおられます。

 

安政五年(1858年)の大火の後、安政六年(1859年)に再建されたので、築168年の建物になります。

 

特徴は、軒廂付切妻造の2階建で、両側に本卯建を上げています。

 

 

旅館の中では、ご主人が朝の掃除をされていました。

 

"おはようございます"と挨拶をすると、手を休めて軒先に出てきてくれました。

 

先に居た2人の旅人は出発し、残ったのは自分ひとり。

とても親切に「細久手宿」と「大黒屋」の歴史を教えてくれました。

 

細久手宿の本陣・脇本陣が手狭になったため、領主尾州家が問屋役酒井吉右衛門宅を「尾州家本陣」として定めたのが、「尾州家定本陣大黒屋」の始まりだそうです。

 

中山道にまつわる話しをしながら、江戸時代に興味があることを話していると、

"建物を見学されますか?"との流れになりました。

 

本来ならば、宿泊しないと建物内に入れないと思うのですが、これは有難い!

 


日曜日の穏やかな朝、江戸時代の文化を感じ取ろうとした、まさにその時!

 

バババーバッ、ブゥヮー、ボッツーボボ、爆音が響き渡りました。

 

ぱっと見ると、積載車に続いてドリフト車が2台、ちょうど「大黒屋」の前に停まりました。

 

道幅が狭く、対向車とのすれ違いが困難なためです。

 

 

その耳をつんざくエキゾーストを聴いた瞬間、四半世紀まえの記憶が蘇ってきました。

 

そうだ、やっぱりこの先にはサーキットがあるんだ・・・

 

自分はこの道を通って「瑞浪モータランド」や「YZサーキット」に通っていたんだ。

 

当時は、この街道が旧中山道とは意識もせずに・・・

 

現在、この街道は「星あかり夢街道」と名付けられているようです。

 

素敵なネーミングです。

 

あっ、皇女和宮さまだ!

絵を見た瞬間に理解できました。江戸降嫁の行列のイメージですね。

 

素敵な絵とは裏腹に、隊列を組んだドリフト車たち・・・

 

「大黒屋」が築168年ということは、当然、四半世紀まえに自分もこうやって狭い道ですれ違いをしていた筈・・・

 

めちゃくちゃ恥ずかしい気持ちになりました。

 

懺悔したいです・・・

 

ドリフト車一行隊が通り去った後、再び、宿場まちに静けさが戻ってきました。

 


 

■皇女和ノ宮歌碑(大湫宿)

 

皇女和宮さまが十四代将軍徳川家茂へ御降家のため、文久元年(1861年)十月二十八日、その道中の一夜を過ごされたのが大湫宿の本陣です。

 

◆和宮降嫁:1861年10月26日~10月29日の4日間(10月28日に宿泊)御供約5000人、人足等約28000人、馬約800頭の大行列。

 

本陣跡には皇女和宮さまの歌碑があります。

 

遠ざかる 都を知れば 旅衣

 一夜の宿も 立ちうかりけり

思いきや 雲井の袂 ぬきかえて

 うき旅衣 袖しほるとは

 


 

■上段の間 書院造り

 

「大黒屋」は国登録有形文化財です。

 

本卯建、玄関門、式台、上段の間なども往時のまま残っています。

 

玄関から1階上段の間に上がり、奥座敷まで通してもらいました。

 

・上段の間・・・江戸時代に大名や公家などが宿泊した本陣や脇本陣において、最も格式が高い部屋。

 

念願だった"書院造り"を見学することができました!

 

・書院造り・・・床の間、違棚、光を取り入れるための書院窓が設けられた空間。

 

2間(3.636m)の付書院、上方には雲型板があります。

 

 

棚構えは斜めに向いた地袋上に棚を置いてあり創意に富んでいます。

 

天井高が高く、高貴な客を泊める工夫が凝らされています。

 

 

細久手宿内は、東の高札場から西の日吉・愛宕神社入口まで宿町3町45間(約400m)

 

宿内往還は、平均巾2間半(約5m)

 

宿内50軒の家々は、概ね間口6間半(約12m)に地割され、宿人馬役としての宿役のほか、旅籠屋を兼ねて往還の左右に町を成していました。

 

宿内は、東方から上,中,下町に3区分され、桝型(鍵の手)はなく、弓型(曲がり)に造られていました。

 

 

■山間に残された宿場まち

 

国道19号やJR中央本線は土岐川沿いに開かれたため、ここ細久手も取り残されたような形となり、往時の姿をとどめています。 

 

「大黒屋」は国登録有形文化財に登録されており、昔の面影を伝えています。

 

創業は慶長年間(1596年~1615年)の江戸時代初期。

しかしながら、現代でも宿泊することもできるのです!

客室は7部屋あり、1泊2食14,800円也。

 

近年では海外からの訪日客も多く、オーストラリア人はコーディネータを通じて1年前から予約を入れているそうです。

 

美濃中山道十七宿をめぐる際は、日帰りではなく、敢えてここに宿泊して、江戸時代にタイムスリップしたいものです。

 


 

■美濃中山道の宿場まち(中山道ぎふ17宿)

 

江戸・日本橋から京・三条大橋まで六十九宿[百三十五里二十四町八間(約534km)]

この中山道の約4分の1相当にあたる128kmが美濃国、つまり現・岐阜県です。

 

① 43.馬籠宿

② 44.落合宿

③ 45.中津川宿

④ 46.大井宿

⑤ 47.大湫宿(大久手宿)

⑥ 48.細久手宿

⑦ 49.御嵩宿

⑧ 50.伏見宿

⑨ 51.太田宿

⑩ 52.鵜沼宿

⑪ 53.加納宿

⑫ 54.河渡宿

⑬ 55.美江寺宿

⑭ 56.赤坂宿

⑮ 57.垂井宿

⑯ 58.関ヶ原宿

⑰ 59.今須宿

 


旅のはじまりはモーターサイクル。

 

自由への扉をひらこう。