その出逢いは、長野県の大桑村から国道19号の帰り道のことだった。
国道19号は「中山道」または「木曽路」とも呼ばれている。
雄大に流れる木曽川とJR中央本線に挟まれて走るこの区間は、好きな道のひとつだ。
中山道六拾九次之内に置き換えると、江戸の日本橋から数えて四十一番目の宿である「野尻宿」と「三留野宿」の間くらいだろう。
そのまま南下すると、読書発電所(よみかきはつでんしょ)のある『南木曽町妻籠』の交差点に辿り着く。
交差点を左折すれば、旧:中山道の「妻籠宿」方面へ、道なりに右手に進めば、現:国道19号となる。
国道19号やJR中央本線は、木曽川沿いに拓かれたため、この先に続く中山道の「妻籠宿」や「馬籠宿」は取り残されたような形となり、往時のままの姿をとどめている。
今日は、国道19号に歩を進めた。
そして、いつもの「道の駅・賤母(しずも)」に立ち寄って、昼休憩を取ることにした。
レストランで名物の『五平餅定食』を食べていた時のこと、
ふと、壁に貼ってある1枚のポスターに目が留まった。
東山魁夷 第Ⅳ期展「静謐-青色の風景」
2026年1月6日(火)~3月15日(日)
東山魁夷(ひがしやまかいい)・・・
名前は聞いたことある・・・
画伯だよな・・・
何故、こんな所にポスターが貼ってあるのだろうか?
不思議に思っていると、どうやらこの敷地内に? 美術館があるようだ。
はて? そんな建物、ここにあったっけ?
と思い、ポスターをよ~く見てみると・・・
「開館30周年 特別展」と書かれている。
開館30周年!? 30年前からあったのか!?
ちょっとしたショックを受けた。
およそ30年くらい前から、ここ「道の駅・賤母」を利用し続けてきた。
ツーリングの休憩やスキーやスノボの行き帰りなど、幾度となくここに立ち寄ってきたのだが・・・
気付かなかった・・・
いや、一度も気にしたことがなかった・・・
では、何故?
今日に限って目に飛び込んできたのだろう?
なにか運命的な巡り合わせを感じ、見に行こうと決めた!
初めて目にした建物・・・
30年も前から、ここにあったんだ・・・
気付かなかった自分にも驚いてしまう。
しかし、何故この地に建てたのだろう?
国道19号沿いとはいえ、交通がとても不便な場所だ。
街からは外れているし、JR中央本線の駅からも離れている。バスも走っていない。
バイクや車を持っていないと来られない場所なのだ。
人の気配はまったく無い・・・
が、営業中の立て札は出ている。
入館料すら分からないが、思い切って、扉を開けてみた。
館内には受付のお姉さんが一人居た。
他にお客さんは人っ子一人居ない。
・開館時間:午前9時30分~午後5時
・休館日:毎週水曜日
・入館料:大人330円、中学生以下は無料
自分はJAF会員なので割引があり、270円だった。
さて、一切の知識も持たず、人生で初めて鑑賞する東山魁夷の作品である。
1階に「第一展示室」と「第二展示室」があるようだ。
展示室の入口には、東山魁夷のメッセージが掲げられていた。
■木曽へのメッセージ
美術学校へ入って最初の夏休みに友人と共に、木曽川沿いに八日間のテント旅行をしながら、御岳に登ったのが、私を山国へ結びつける第一歩でした。
この旅の途中、山口村(現:中津川市)の賤母の山林で大夕立に遭い、麻生の村はずれの農家に駆け込んで、一夜の宿を求めました。そこで私は思いがけないほどの温かいもてなしを受けたのです。
この旅で、それ迄に知らなかった木曽の人たちの素朴な生活と、山岳をめぐる雄大な自然に心を打たれ、やがて風景画家への道を歩む決意をしました。
それは画家を志した頃の緊張した気持ち、一つ一つ積み重ねてゆく意志的な努力と言ったもの、その象徴が北国の姿だったのです。このことが少年期を過ぎ青年になったばかりの私には、大きな人生の開眼であり自然の発見でもありました。
その後は何かに取り憑かれたように信州各地の山野や湖、そして高原へと旅を重ねて、四季折々の風景を描き続けてきました。
この緑濃い賤母の森蔭に「心の旅路館」と名付けた私の版画による展示館が設立されたのも、木曽路と私を結ぶ縁の糸がだんだん大きく太くなった結果かもしれません。
この地を過ぎる旅の人達にとって、暫しの安らぎと憩いの場になれば、誠に幸いに思います。
平成7年(1995年)8月 東山魁夷
ここ賤母は、画伯が青春時代に道を歩む決意をした場所だったんだ・・・
鳥肌がたったのを覚えた。
第一展示室には6作品があった。
一番最初の作品は、『窓明り』ドイツ リューベック 1971年
一瞬で幻想的な世界に惹きこまれた。
とても素敵な風景画で、直感的に好きだと感じた。
第二展示室には21作品があった。
青色の風景で統一してある世界観がすごく素敵だと感じた。
長野県の志賀高原、蓼科高原、諏訪湖、奥穂高などの風景画は、どことなく馴染みがあるような気がした。
北欧の風景画は、不思議と懐かしさのようなものを感じた。
とても美しい・・・
展示室の静けさ、独りだけの静寂、作品の中の静けさ、白い馬のみの幻想的な世界・・・
とても静かだ・・・
とても落ち着く・・・
青色は自然と精神を深く結びつける神秘的な色とされています。
魁夷が描く青の風景は、多様な感情を抱かせながらも、観る者の心の奥底に沁み込みます。
「東山ブルー」とも呼ばれる美しい青色の濃淡で描かれた作品を鑑賞する時間は、安らぎを覚えました。
とても幸せな余白時間となりました。
心の旅路館
心の旅時間
運命的な出逢いに感謝いたします。
歩み入る者に やすらぎを
去り行く人に しあわせを
魁夷
■東山魁夷 略歴
・明治41年(1908年)7月8日:船具商東山浩介、くにの次男として横浜に生まれる。本名を新吉。
・大正15年(1926年)18歳:東京美術学校日本画科に入学。夏、木曽御嶽山にキャンプ登山。
・昭和9年(1934年)26歳:第1回日独交換留学生に選ばれ、ベルリン大学哲学科美術史部入学。
・昭和22年(1947年)39歳:第3回日展出品作品「残照」が特選となり、政府買上げとなる。
・昭和44年(1969年)61歳:第10回毎日芸術大賞を受賞。文化勲章を受章し、文化功労者に選ばれる。
・平成7年(1995年)87歳:8月、現在地(旧長野県山口村)に「東山魁夷 心の旅路館」が開館。10月、山口村名誉村長に推挙。
・平成11年(1999年)5月6日:逝去(90歳)従三位勲一等瑞宝章が贈られた。
■東山魁夷・心の旅路館 版画作品常設展示場
〒508-0501 岐阜県中津川市山口1番地15(国道19号線沿い「道の駅・賤母」敷地内)
画伯と山口村(現:中津川市)は70年の歳月の後、画伯の高い人間性により結ばれました。
平成6年7月、画伯は「私の青春時代の思い出の地へ」と所蔵のリトグラフや木版画などを山口村に寄贈されました。
村は画伯の青春時代所縁(ゆかり)の地である、この地に「東山魁夷・心の旅路館」を建設いたしました。
「描くことは祈ることである」を信条とする東山芸術を心行くまでご鑑賞いただきたいと思います。
旅のはじまりはモーターサイクル。
自由への扉をひらこう。
