自由気ままに楽しむ「中山道」(中山道ぎふ17宿)


「中山道」は江戸時代に定められた「五街道」のひとつで、江戸の日本橋から京の三条大橋までを六十九宿、全長約534kmで繋ぐ街道です。

 

徳川家康が慶長六年(1601年)に「伝馬朱印状」を交付してから全国支配のために江戸と各地を結ぶ5つの街道を整備し始め、2代将軍秀忠の代になって基幹街道に定められました。

 

■五街道

 

①東海道

②中山道

③日光道中

④奥州道中

⑤甲州道中

 

■中山道

 

・開設:慶長六年(1601年)

・宿場:69宿

・距離:135里32町(533.9km)

・起点:江戸・日本橋

・終点:京・三条大橋

・高低地点:海抜4m(日本橋付近)

・最高地点:海抜1650m(和田峠)

 

■伝馬制度

 

伝馬とは江戸幕府の公用をこなすために宿場で馬を乗り継ぐ、その馬のことをいいます。

幕府は各宿場に馬100匹と人足100人を毎日用意させました。そして伝馬朱印状を持つ公用の書状や荷物を出発地から目的地まで同じ人や馬が運ぶのではなく、宿場ごとに人や馬を交替して運ぶ伝馬制を採用しました。現在の郵便制度に近い仕組みを設けていました。

 

 

関ケ原の合戦で勝利した徳川家康が、全国支配のため江戸と京を結ぶ街道を整備したのが始まりで、江戸から内陸経由で京へ至る「中山道」は、元禄七年(1694年)の伏見宿成立により、全ての宿駅が完成しました。

 

もともと「中仙道」と表記されていましたが、享保元年(1716年)に江戸幕府の通達により「中山道」に名称が統一されました。

新井白石の意見で"中仙道は、元々あった東山道を修復したものあり、東へ向かう海辺の道(東海道)に対して、日本の中央を通る山の道であり、山が正しい"を取り入れ、幕府が道中奉行に指示したとされます。

 

「中山道」と名称が定められた後も、道中記や図会、絵図、浮世絵版画のような出版物では、中仙道や木曽街道(木曽海道)、木曽路(岐蘇路、岐祖路)などの表記が用いられました。

 

参勤交代や庶民の旅行など多様な目的に利用されました。また、江戸・京・大坂という東西の大都市間の物資や文化の交流にも大きな役割を果たしました。

 

「中山道」は[東海道」に比べると、大水による川留め(増水した際に渡河を一時的に禁止すること)や険しい峠などの難所が比較的少なかったため、女性も多く利用していました。

 

 

なかでも、第14代将軍徳川家茂に嫁いだ皇女和宮さまが従えた、3万人もの華やかな行列が通ったことで知られています。

 

 

文久元年(1861年)十月二十八日、その道中の一夜を過ごされたのが大湫宿です。

 

大湫宿の本陣跡には皇女和宮さまの歌碑があります。

 

遠ざかる 都を知れば 旅衣

 一夜の宿も 立ちうかりけり

思いきや 雲井の袂 ぬきかえて

 うき旅衣 袖しほるとは

 

 

岐阜県を横断する中山道は17宿あります。

いまなお、江戸時代の佇まいを残す木曽路・馬籠宿から十曲峠を越えると「美濃中山道」です。

中津川宿から美濃屈指の宿場まち大井宿を経て、大湫宿からは苔むした石畳が美しい琵琶峠へと向かいます。この付近には連続した4か所の一里塚が残っています。

 

■美濃中山道の宿場まち(中山道ぎふ17宿)

 

江戸・日本橋から京・三条大橋まで六十九宿[百三十五里二十四町八間(約534km)]

この中山道の約4分の1相当にあたる128kmが美濃国、つまり現・岐阜県です。

 

① 43.馬籠宿

② 44.落合宿

③ 45.中津川宿

④ 46.大井宿

⑤ 47.大湫宿(大久手宿)

⑥ 48.細久手宿

⑦ 49.御嵩宿

⑧ 50.伏見宿

⑨ 51.太田宿

⑩ 52.鵜沼宿

⑪ 53.加納宿

⑫ 54.河渡宿

⑬ 55.美江寺宿

⑭ 56.赤坂宿

⑮ 57.垂井宿

⑯ 58.関ヶ原宿

⑰ 59.今須宿

 


■尺貫法(長さについて)

 

・1里=36町 (約3927m)

・1町=60間 (約109m)

・1間=6尺 (約1.8m) 

 

■一里塚

 

江戸幕府は街道の整備に伴い、慶長九年(1604年)に全国の街道に「一里塚」を築く命令を出しました。江戸の日本橋を起点に、街道の両脇に1里(約3927m)ごとに塚を築きました。榎(えのき)や松(まつ)の木が植えられ、旅人のための里程標や乗物賃の支払いの目安とされました。

 



旅のはじまりはモーターサイクル。

 

自由への扉をひらこう。