中山道六拾九次の「細久手宿」を出発し、隣の宿場まち「大湫宿」へと歩を進めました。
静かな旧中山道を進む中、再び、山中にこだまするエキゾースト音が聴こえてきました。
「細久手宿」で 耳をつんざくエキゾーストを聴いた瞬間、四半世紀まえの記憶が蘇ってきました
当時、この旧中山道を通って「YZサーキット瑞浪」や「瑞浪モーターランド」に走りに行っていたことを思い出しました。
あの隊列を組んだドリフト車たちは「YZサーキット」に向かったのかな・・・
おぼろげな記憶を頼りに「YZサーキット瑞浪」に行ってみました。
旧中山道から坂道を下っていく区間は、何となく?覚えていました。
「YZサーキット瑞浪」は、YZサーキットの本コースとして1996年に開業し、主にドリフトやオーナー向けのイベントや小規模の走行会などが実施されていました。
しかしながら、2016年3月末を以て、賃貸借契約の終了により営業を終えていました。
現在は、太陽光発電所になっているのか?コース上には太陽光パネルがギッシリと敷き詰められていました。
■旧・YZサーキット瑞浪(現・BadCompanyサバイバルランド)
こんな旧中山道に近いところで走っていたんだぁ~
夏草や兵どもが夢の跡・・・
今思えば、とんでもない所で走っていたんだなぁ・・・
自宅に戻った後、当時、愛読していた『スピードマインド』が1冊だけ保管してあることを思い出し、引っ張りだしてパラパラと捲ってみました。
ジムカーナ競技をやっていた当時、アクセル&ブレーキペダルのヒールアンドトゥやハンドル捌きのロックトゥロック,定常円旋回や荷重移動なるものを修得すべく、走りまくってたなぁ~と懐かしくなりました。
■スピードマインド
かつて山海堂から発行されていた参加型モータースポーツ専門誌
1987年に創刊され、読者が自らステアリングを握り、競技に参戦することを支援する「走り屋のバイブル」として親しまれていました。
出版元の山海堂は2007年に倒産しました。
■瑞浪モーターランド
・全長:1100m
・幅員:8m~18m
・料金:スポーツ走行1時間3,000円
■YZサーキット瑞浪
・全長:1000m
・幅員:11m~13m
・料金:スポーツ走行1時間4,000円
スポーツ走行とはグリップ走行のことで、接触事故を避けるために、ドリフト走行とは時間帯が分かれていました。
旧・YZサーキット瑞浪を出たあと、隣にある旧・瑞浪モーターランドに向かいました。
調べてみると、旧・瑞浪モーターランドも2008年頃に閉鎖されており、現在は「YZサーキットの本コース」と組織が統合されて「YZサーキットの東コース」として運営されているようです。
何とビックリ!
ちょうど「奥之田一里塚」のあるT字路の交差点を左折します。
当時、これが"一里塚"だとは思ってもみませんでした。
"一里塚"は街道を往来する旅人の道標でした。
まさかこれを目印にしていたなんて・・・
■奥之田一里塚
江戸時代に幕府が主要街道に約4km(一里)ごとに設置した土を盛った塚であり、江戸へ92里、京へ42里という中山道の奥之田一里塚。
大きさは高さ4m,直径12mあり、ほぼ元の姿を留めています。
「奥之田一里塚」から北方面に坂を下っていくと、山間をこだまするエキゾーストノートが近づいてきました。
・エキゾーストノート(Exhaust Note)・・・自動車やバイクのマフラーから奏でられる排気音のこと。
下まで降りていくと、パドックには多くの車両や積載車が停まっており、賑やかな雰囲気でした。
「細久手宿」の前を通過していったドリフト車一行隊も居ました。
まだこうやって走り屋たちが居るんだなぁ~
とても懐かしく思いました・・・
当時は時計回りで1コーナーだったところが、反時計回りの周回になっており、逆方向から進入してドリフトをしていました。
ふむふむ、今日は練習走行なのかな?
■現・YZサーキット東コース(旧・瑞浪モーターランド)
再び、静かな旧中山道に戻ります。
昔を懐かしむために・・・
答え合わせをするために・・・
ちょっと寄り道をしましたが、本来の目的地である『琵琶峠の石畳』を目指します。
何故なら、そこには日本一の"石畳"が残されているからです。
中山道は、岐阜県内でも改修や荒廃などにより江戸時代当時の原状を残すところが少なくなっています。
こうした中で、瑞浪市内の釜戸町,大湫町,日吉町にまたがる約13kmの区間は、丘陵上の尾根を通っているために開発されずに原形を留めているのです。
■琵琶峠 石畳 東入口
「大湫宿」と「細久手宿」を結ぶ道程にある琵琶峠は、美濃中山道の中で最も高い峠(標高557m)です。
日本最大級となる全長約730mの石畳が敷かれており、江戸時代から続く中山道を体験することができます。
ひっそりと苔むした石畳が往時を偲ばせます。
十六才の若さで将軍へ降嫁した皇女和宮さまは健気にも
「惜しまじな 君と民とのためならば 身は武蔵野の露と消えても」
と詠んで中山道を下ってきました。
琵琶峠まできて周囲の景色を見ると、流石に京との別れが惜しくなり
「住みなれし 都路出でて けふいくひ いそぐともつらき 東路へのたび」
と述懐せざるを得なかった・・・と云われています。
歴史を感じ取りながら『石畳の琵琶峠』を下りて「大湫宿」に向かう途中、大きな岩が目に飛び込んできました。
あっ!
二つ岩だ!
これはもしや・・・
■歌川 広重 作 木曽海道六拾九次之内 大久手
大久手(大湫)から坂を登ってくる農民2人が、山で刈った柴を背負い梯子で運びながら、大きな岩を見上げている様子が描かれています。
■中山道 二つ岩
歌川広重が描いたとされる"岩"です。
本当にあったんだぁ~
江戸時代の浮世絵版画の中にある絵と現実の世界がリンクしました。
ちょっとした感動です。
地続きで繋がっているんだなぁ~
当時の中山道を旅する人々にも余程目についたらしく、木曾街道の案内書には「ほろ岩」と「ゑぼし岩」が紹介されています。
・ほろ岩(母衣岩)
・ゑぼし岩(烏帽子岩)
細久手から大湫に向かった大田南畝も「壬戌紀行」の中で、この二つの岩を次のように描写しています。
「道の左に立てる大きなる石二つあり 一つを烏帽子石といふ 高さ二丈ばかり巾は三丈に余れり また母衣石といふは高さはひとしけれど巾は是に倍せり いずれもその名の形に似て 石のひまひまに松その外の草木生ひたり まことに目を驚かす見ものなり」
旅のはじまりはモーターサイクル。
自由への扉をひらこう。
