中山道 大井宿は、江戸の日本橋から数えて四十六番目の宿である。
美濃国(現・岐阜県恵那市)
人口:466 総家数:110
本陣:1 脇本陣:1 旅籠屋:41
■歌川 広重 作 木曽海道六拾九次之内 大井
恵那市内にある「中山道広重美術館」秋季特別企画展を見学したあと、バイクを走らせて"高札場"を探しに行った。
■中山道広重美術館
円熟期の広重が中山道を描いた「木曽海道六拾九次之内」など、浮世絵版画を中心に収蔵しており、ほぼ毎月入れ替え展示。模擬版木を使った重ね摺り体験も人気。
午前9時30分~午後5時(入館は4時30分まで)
何故、探しに行ったって?
"高札場"を知らなかったから・・・
間違えて購入してしまった『中山道 道中案内』の本。
本を読み始めて、早くも見慣れない言葉が出てきた。
・本陣
・脇本陣
・高札場
・問屋場
ここに出てくる"高札場"って何だ?
どうやら、ここ大井宿の中にあるらしい。
しかも、先ほど「中山道広重美術館」へ行く道中で、道を間違えた辺りのようだった。
今度こそナビをセットして「高札場」に向かった。
道が狭い!
この街道が中山道(木曽海道)のようだ。
残念ながら「本陣跡」は閉まっている雰囲気だ。
パスして道なりに進むと「高札場」に出くわした。
コレか~!
江戸時代の「高札場」は五妙坂の上にあり、高さ2間(3.6m)巾2間半(4.5m)の大きさであった・・・とのことだ。
■中山道 大井宿 高札場
現在の「高札場」は五妙坂の途中にあった。
写真からも分かるように、なかなか勾配のきつい坂である。
「高札場」の大きさを伝えるために、バイクを入れて撮影したみた。
ただし、この「高札場」は原寸を4分の3サイズ(2.7m×3.4m)に縮小したものである。
これが高札かぁ~
ふむふむ。
墨がかすれているというか、日本語なのに言葉が難しくてスラスラと読めない・・・
高札は制札とも呼ばれ、徳川幕府が農民や商人を取り締まる基本的なきまりを公示したものである。
現代の掲示板のようなものか・・・
「高札場」は村の中で人通りが多く目につきやすい場所に建て、幕府の権威を誇るように石垣や土盛りを築き、ときには矢来で囲むこともあった。
・矢来とは・・・竹矢来(竹を斜めに交差させて作る囲いや柵)のこと。
管理の責任は藩に命じ、村人にきまりを厳しく守らせて、付近の掃除や手入れもさせた。
高札の書き換えは、きまりの改正や老中の交替、年号の変わるたびに行われたが、あまり頻繁であったため、8代将軍吉宗以後は書き換えず、正徳元年(1711年)5月付けの高札が幕末まで維持された。
そして、慶応四年(1868年)明治新政府は新しい高札に掛け替えたが、明治三年に高札制度が廃止された。
ふと、高札の右側にある小さな看板を見ると、ご丁寧に高札の現代訳がされているではないか。
これは分かりやすい!
左上から順に、
◆人馬貫目札 ◆火付札
◆親子兄弟札 ◆人馬賃銭札 ◆徒党札
◆キリシタン札 ◆毒薬札 ◆割増賃銭札
とある。
なるほどね~
これが宿場まちごとに建てられているんだなぁ~
復元とはいえ、勉強になります!
◆人馬貫目札:荷物は馬1駄40貫目(150kg)人足は5貫目(18.75kg)とし、宿人馬で不足するときは助郷村の人馬を集め、たとえ風雨の日でも遅れないように送り届けよ。
・助郷村とは・・・旧土岐郡下の寺河戸、小田、山田、土岐、猿子、小里、萩原、須之宮、羽広、釜戸、半原(現・瑞浪市)と駄知(現・土岐市)、旧恵那郡下の藤、久須見、竹折、野意、佐々良木、椋実(現・恵那市)の18ヶ村、1万97石の村々のこと。
◆火付札:火付人を見付けたらすぐに申し出よ。また、火事場では不審な行動をしないこと。
◆親子兄弟札:親子兄弟夫婦親類の者は、常に親しくして家業に励み、けんか口論博奕などしてはならない。
◆人馬賃銭札:この規定を元賃銭といい、以後の人馬賃銭割増しの基準になった。
◆徒党札:徒党をくんだり強訴したり、言い合わせて村から逃げ出ることを禁ず。
◆キリシタン札:キリスト教を禁止する。不審な者を見付け申し出た者には褒美を与える。
◆毒薬札:毒薬やにせ薬やにせ金の売買を禁止する。職人が申し合わせて手間賃を値上げしたりしないこと。
◆割増賃銭札:人馬賃銭を天保十四年(1843年)から5年間、元賃銭の4割5分増しとする。
■中山道 大井宿 本陣跡
旅のはじまりはモーターサイクル。
自由への扉をひらこう。
